食育コラム

家庭の中でがんばりすぎない「食育」を

料理研究家コウケンテツさん

学びではなく生活の一部だった我が家の「食育」

食事をするためには、献立を考えることから買い出し、食卓の準備、後片づけ、ゴミ出しまで、調理以外にもやるべきことがたくさんあります。私が育った家では、それを家族みんなで行っていました。毎週金・土・日曜日は家族総出で買い物に出かけ、何を作るかを相談しながら買ってきた食材を一緒に調理し、食べた後は片付けるのが当たり前。「いただきます」と「ごちそうさま」をきちんと言い、たくさん食べると褒められ、残したり粗末にしたりすると叱られました。

また、親戚や友人、近所の人、両親の仕事でお付き合いのある人など、家族以外の人をよく食事に招いていました。フレンドリーな土地柄や、家に鍵をかけずにいるようなおおらかな時代だったことも関係していると思いますが、時には両親が声をかけた通りすがりの人がいたことも。でも、知らない大人たちの中で気づまりを感じたかというとそのようなことはなく、私にとっては、食卓をともに囲むと世代や関係性といった壁がなくなることを学んだ、とても楽しい思い出です。

こどもの貧困が社会問題化していますが、今、求められていることは、こどもが楽しく、お腹いっぱいに食べることができる環境作り、なのではないでしょうか。私がこどもの頃、「食育」という言葉や概念は一般的ではありませんでした。両親も食で何かを学ばせようという意識はなかったでしょう。しかし、今の私を育んでくれた食卓には、現在「食育」として取り組まれている様々なことが、確かに存在していました。日々の食を通じて得た「おうちごはんは楽しい」という記憶は、私のその後の人生の基礎になったのです。

料理のプロとして自分の存在意義が揺らいだ日々

物心がつく頃にはすでに台所に立っていた私は、料理の道へと進み、そして家庭を作りました。今思い返すと、最初はおうちごはんのすばらしさ、食のあるべき正しい姿への思いが強すぎたのでしょう。「おうちごはんはこうあらねばならない」と、出汁を何種類も作ったり、栄養バランスを重視して品数をできるだけ多くしたり、おうちごはんとしてはハイレベルな料理を追求し、料理研究家として発信もしていたのです。

しかし、自分にこどもが生まれ、現実に打ちのめされることになります。こどもの成長を考えて作った料理を食べてもらえない、こどもが好きそうな料理を作っても喜んでもらえない、温かな料理を食卓に並べても食べる頃には冷めてしまう、そのようなことが続くのは、料理のプロである私にとって自分の存在意義にもかかわるつらい体験でした。
仕事をして家事もして、そこに子育てが加わって、さらに料理もがんばるのは、とても大変なこと。自分が子育てを経験して、初めて気づくことができました。

絵本で伝えたいこどもたちへのメッセージ

私は考えを改め、今悩んでいる人がいたら自分を追い込まないでもっと気楽に毎日の料理を楽しんでもらいたいと願うようになりました。令和2(2020)年には、食事を作るのがつらくなった人を応援するエッセイを1冊の本にまとめて出版しましたが、とても大きな反響をいただいたのは、それだけ多くの人が追い詰められていた証でしょう。

でも、私の根底にあるのは「おうちごはんは楽しい」ということに変わりはありません。決してネガティブにならず、楽しい食事の時間をみんなで共有してほしい。そのために、未来を担うこどもたちに向けて、ごはんの楽しさやごはんで人とつながれることを伝える絵本も作りました。絵本にしたのは、自分自身も親に絵本を読み聞かせてもらって育ち、こどもたちにも読み聞かせを行ってきたから。親から子へ、思いを受け継ぐのにもってこいだと思ったのです。

こどもたちが生きていく力を育む「体験」

絵本のテーマに取り上げたスクランブルエッグは、私が初めて作った料理です。それは幼稚園の頃、忙しい両親が不在の時でしたが、楽しさや満足感、達成感も含めて、その時の景色や気持ちを今も鮮明に思い出すことができます。絵本を読んだこどもたちにも、私と同じように体験を通じて自信をつけ、なりたい自分になってもらいたい。そんな思いを込めて、絵本は読むだけで終わるのではなく、実際に料理を作って、美味しく味わえる内容にしました。

現代のこどもたちはインターネットなどを通じて、様々な情報に接しています。中には誤った情報もあるでしょう。特に食に関する情報は、こどもたちの命や健康、未来にかかわるものです。信じるに値する情報が何か見極める力をつけるためには、こども自身の食に関する経験値を高めるしかないと考えています。このサイトでも紹介されているように、現在、食育活動として料理体験や収穫体験、漁業体験など様々な体験の機会が設けられています。自分の五感をフル稼働させて食べ物と向き合うこれらの体験は、こどもたちにとって今後ますます重要になっていくでしょう。

「食育」は社会全体で取り組むことが大切

これまで30以上の国や地域に出かけて、世界の家庭料理を学んできました。しかし、日本でよく耳にする「ワンオペ」や「家事分担」という言葉を、他の国で聞いたことはありません。もちろん文化や社会構造の違いはありますが、ともに暮らす家族が家事も育児も分担し、それぞれができることを行っているのを目の当たりにしてきました。料理をする際も、誰かが主体であり、他の人はお手伝いという意識はありません。このような家庭の形を作れれば、時間にも心にも余裕ができて、みんなで一緒に幸せに過ごせると思いませんか?

「ワンオペ」「家事分担」は家庭内だけの問題ではなく、社会の問題とも考えられるでしょう。目の前にあるこれらの問題を自分の事として受け止め、理解し、解決しようとする意識が、家庭から地域、そして社会へと広がっていけば協力体制は自ずとできるはず。「食育」も同じことです。家庭の中だけで完璧に行おうとすれば、ハードルはどんどん上がってしまいます。しかし今、行政や学校、事業者など、様々な団体が「食育」に取り組んでいます。家庭での「食育」がしんどくなったら、自分を追い込む前に、任せられるところは外部の力を借り、無理をしないで取り組んでいく。それこそがみんなで幸せになれる「食育」の実現に必要なことだと私は考えています。

PROFILE

料理研究家 コウケンテツ

大阪府出身。
旬の素材を生かした手軽でおいしい家庭料理を提案し、テレビや雑誌、イベントなど多方面で活躍。30か国以上の国を旅して世界の家庭料理を学ぶ。3児の父親としての経験をもとに、男女共同参画、子育てについての講演会も精力的に行う。YouTube公式チャンネル「Koh Kentetsu Kitchen」は登録者数190万人を超える人気となっている。近著は「本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ」(ぴあ)、「まねっこシェフ」(主婦の友社)など。

★YouTube公式チャンネル 
「Koh Kentetsu Kitchen」bit.ly/3dMrkeV

★インスタグラム 
https://www.instagram.com/kohkentetsu/?hl=ja